2006年02月21日

[コトバ]不安とは、ことばにならない疑問である

不安とは、ことばにならない疑問である。
ことばにならないから、漠然としたまま、
いつまでもどこまでもつきまとう。
しかも不安から逃げることはできても、
解消することはできない。
ただ言語化して、不安を直視すること、
不安に立ち向かうことだけが、
根本的な解決への道である。
言語化すれば、不安の対象が明確になり、
その解決への道筋が見えてくる。

まず不安を直視しよう。
何が不安なのかことばにしてみよう。
不安を認識するのは最初は怖いことかもしれない。
でもおじけづくことはない。
言語化すればもう不安ではないのだから。
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2006年02月07日

[コトバ]成長スパイラル

自分の中に変化の兆しを読み取り、
それを契機にして
新しい構造なり、秩序を立ち上げる。
みずからの手でみずからの構造をつくり変える。
環境からの影響がなくとも、
自力で自分を変える。

自己の中に、相互行為をつくり、
自己を組織化する。
posted by yukky at 03:10| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[コトバ]自然体の強さ

柔道で一番大切なのは、
「自然に動く」ということ。

相手の力に逆らうことなく自然な動きを保つということ。
意識したり考えたりすることなく自然にからだが動くということ。

意識的にからだを動かして勝てるのは、
実力にかなりの差がある場合だけで、
強い相手に勝つときは、
知らないうちに自然にからだが動いて相手を倒すのであり、
そういう「動き」を自分のなかにつくっていくために
修練をつむのだ。
posted by yukky at 03:09| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[コトバ]自己とは他者である

人間の本体と考えられている「意識」とか「精神」とかの
実質は言語であり、
この言語とは、関係の中でしか存立しえない。
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ダイヤモンドは、石炭と同じ、炭素の集まり。
一方では、ただの「炭」であり、
一方では、宝飾店の華麗なるTVコマーシャルによって
「愛」の目に見える表現であるかのよう。

わたしたちの自我の内部に入りこむ
他者の言語として広告するあのダイヤモンドであるのは、
ただひたすらに、同じ炭素の「配列」の仕方、
つまり、
関係のありようの差異に基づいている。

本質は、関係の内にこそある。
posted by yukky at 03:02| ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | コトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[コトバ] 自分を信じ、自分を疑う

根源的なあやしさは、自らに常についてまわる。
それを否定したとき、
いいかえれば自らのあやしさをあやしさとして
見つめられなくなったとき、
一番大事なリアリティーを失ってしまう。
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何かを絶対的に正しいと信じることが、
どれほど悲惨な結果をもたらすか
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求められているのは、
絶対的な正しさでもなければ、
無限の懐疑でもない。
自分の正しさを信じつつ、
同時に自分の正しさを疑えることであり、
そういう運動の中でリアルに考えつづけることである。
posted by yukky at 02:33| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月01日

[コトバ]真実と事実

しびれるプラトンの言葉。
授業でひさしぶりに哲学の世界に触れた。
自分の根底を形作ってくれた要素のひとつは、
まぎれもなく哲学の世界だったなぁと思い出した。

小学生の頃に知った
あの感動と衝撃と恐れから、私の人生は動き出したんだ。

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それは例えば、人が、ある巨大で力の強い動物を飼育しながら、そのさまざまの気質や欲望について、よく飲み込む場合のようなものだ。この動物にはどのようにして近寄り、どのようにして触れなければならないか。どういうときにいちばん荒々しく、あるいはおとなしくなり、何が原因でそうなるのか。どういう場合にそれぞれの声を発する習性があるか。逆に、こちらからどういう声をかけてやれば、穏やかになったり、猛り立ったりするか、などなど。こういったすべてのことを、長いあいだ一緒にいて経験を積んだおかげで、よく飲み込んでしまうと、彼はこれを「知恵」と呼び、一つの技術のかたちにまとめ上げたうえで、それを教えることへと向かうのだ。その動物が考えたり欲したりする、そういったさまざまなもののうち、何が<美>であり<醜>であるか、何が<善>であり、<悪>であるか、何が<正>であり<不正>であるかについて、真実には何一つ知りもせずにね。こうした呼び方のすべてを、彼はその巨大な動物の考えに合わせて用いるのだ。つまり、その動物が喜ぶものを「善いもの」と呼び、その動物が嫌うものを「悪いもの」と呼んで、ほかにはそれらについて何一つ根拠を持っていない。要するに、必要やむをえざるものを「正しいことがら」と呼び「美しいことがら」と呼んでいるだけのことであって、そういう<必要なもの>と<善いもの>とでは、その本性が真にどれほど異なっているかについては、自分でも見極めたことがないし、他人にも教え示すことができないのだ。

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posted by yukky at 23:12| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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